唐長・雲母唐長の歴史

唐長・雲母唐長(KIRA KARACHO)の歴史・歩みについて紹介します。
日本唯一続く唐紙屋の寛永元年(1624年)から現代にかけての400年の歴史の変遷。

  • 1624寛永
    元年
    寛永元年
    唐長創業
  • 初代千田長右衛門は堺町竹屋町にて御所警固侍をしつつ、唐紙屋を手伝う。
    本阿弥光悦が京都・鷹峯に芸術村を築き「嵯峨本」に唐紙を用いた際の仕事を手がけたと伝わる。
    二代目より専門職となり唐紙屋を営む
  • 1679延宝
    七年
    二代目没
  • 1681天和
    元年
    三代目、東洞院六角の地に工房を構える。
  • 1687貞享
    四年
    初代没
  • 1725享保
    十年
    三代目没
  • 1742寛保
    二年
    四代目没
  • 五代目は、1788年の天明の大火に見舞われたが、大火以後も板木を復興し、家業を繋いだ。
  • 1791寛政
    三年
    板木・九曜紋が開板(天明の大火以降、裏書きが確認できる唐長最古の板木)
  • 1807文化
    四年
    五代目没
  • 1831天保
    二年
    天保二年秋、三都書林の出版物に
    東洞院三条下ル 御唐紙師 唐紙屋長右衛門と記載あり。
    数人の記載の中、唯一「御」と記されていることからも、宮廷や幕府に出入りしていたことが推測される。
  • 1832天保
    三年
    六代目没
  • 1864元治
    元年
    蛤御門の変
    たらいに水を張り、目張りした土蔵に板木を入れて守る
  • 七代目は随分と苦労した。
    1864年、蛤御門の変では鉄砲焼けから見事に板木を守り抜くも、江戸から明治に時代が変わる。
    文明開化など時代の変遷に伴い人々の暮らしが変わることで唐紙も失われていき、多くの唐紙屋が廃業。唐長にとっても過酷な時代であり、当時唐紙の将来を憂いて200枚以上の板木を自ら割って風呂焚き用に燃やした、と伝わる。
    「よく燃えてござ候、地獄でござ候」(七代目の日記)
  • 1883明治
    十六年
    七代目没
  • 1895明治
    二十八年
    八代目、明治二十八年「第四回内国勧業博覧会」へ出品
  • 千田廣次商店
  • 千田廣次商店
    1930昭和
    五年
    八代目没
  • 九代目(婿養子)が家業を継ぐが、襲名はせず、千田廣次商店を名乗る。
    以後、昭和、平成、令和の時代において千田長右衛門の名を襲名することはなくなった。
    (千田廣次商店)
  • 千田紙芸
  • 千田紙芸
    1947昭和
    二十二年
    九代目没
    十代目千田長次郎が家業を継承。(千田紙芸)
  • 1950昭和
    二十五年
    十代目、桂離宮の修復を手がける
  • 1959昭和
    三十四年
    十代目、桂離宮の修復を手がける
  • 株式会社唐長
  • 株式会社唐長
    1970昭和
    四十五年
    十代目が修学院へ移転(株式会社唐長)
  • 1976昭和
    五十一年
    千田堅吉、十一代目を継承
  • 1979昭和
    五十四年
    十一代目、桂離宮の修復を手がける。
    昭和大修理では、襖、壁の桐紋唐紙制作責任者として従事
  • 1989平成
    元年
    十一代目、二条城の修復を手がける
  • 1993平成
    五年
    千田愛子が修学院工房にカードショップオープン
  • 1994平成
    六年
    十一代目、日本伝統文化振興賞受賞
  • 1996平成
    八年
    十代目没
  • 1999平成
    十一年
    十一代目、国の選定保存技術保持者に認定される
  • 2004平成
    十六年
    千田愛子がココン烏丸にKIRA KARACHOショップオープン
  • 2008平成
    二十年
    トトアキヒコの唐紙がアートとして産声をあげる
  • 2009平成
    二十一年
    作品「inochi」が、MIHO MUSEUMに収蔵・展示される。
    唐紙がアート作品として美術館に収まるのは、唐紙の歴史はじまって以来初めてのこと。(トトアキヒコ・千田愛子合作)
  • 2010平成
    二十二年
    トトアキヒコ、平成二十二年より、2年がかりで養源院・重要文化財である俵屋宗達「松図」の唐紙修復を手がける(平成二十二年度修復、平成二十三年度修復)
  • 2010平成
    二十二年
    トトアキヒコ、養源院に祈りの唐紙作品「星に願いを」奉納。
    俵屋宗達の重要文化財「唐獅子図」と並んでいるこの作品は、唐紙がアート作品として寺社仏閣に納められた歴代はじめての作品となる。
  • 2011平成
    二十三年
    護王神社祈願殿内に作品「イノチノヒカリ」を奉納。(トトアキヒコ・千田愛子合作)
  • 2012平成
    二十四年
    十一代目、旭日双光章受章
  • 株式会社雲母唐長
  • 株式会社雲母唐長
    2013平成
    二十五年
    御所西に構える唐長サルヤマサロンをアトリエKIRA KARACHOに名称変更(株式会社雲母唐長)
  • 2014平成
    二十六年
    「唐紙の美 トトアキヒコの世界 雲母の旋律 -400年のひととき-」の開催(東京国際フォーラム相田みつを美術館)
  • 2014平成
    二十六年
    千田聖二、十二代目就任
  • 2016平成
    二十八年
    十二代目解任(十一代目千田堅吉再任)
  • 2016平成
    二十八年
    天台宗三十三間堂本坊 妙法院門跡に唐紙奉納
  • 2017平成
    二十九年
    浄土真宗本願寺派栢原山 龍仙寺に唐紙アート作品「星に願いを」奉納
  • 2018平成
    三十年
    嵯峨へ移転
  • 新天地を得て、アトリエと貴賓館を新設。
    今後、嵯峨の地にて唐長文化を受け継ぐ雲母唐長が、唐紙を次世代へと継承する。
  • 2018平成
    三十年
    トトアキヒコ、無鄰菴唐紙奉納により、文化財の保存、維持の功績が認められ、門川大作京都市長より表彰を受ける。
  • 2018平成
    三十年
    平成の百文様プロジェクト」始動
    唐紙文化の普及を通じて、他の日本文化普及にも努め、伝統と継承、循環と再生の歴史を創造し続け、100 年後の京都に意味のある持続可能(サステナビリティ)な文化プロジェクトとすることを意図する。
  • 2019平成
    三十一年
    日本キリスト教団 室町教会の礼拝堂前天井に唐紙奉献
  • 2020令和
    二年
    トトアキヒコの作品「Universal Symphony」(神慈秀明会正殿/2020年)が完成。令和元年初日より手がけた世界平和への祈りをテーマにした作品は、24面で1枚の作品となり、その大きさは22メートルに及ぶ唐紙史上最大のアート作品となる。
  • 2022令和
    四年
    唐長本店は京都・嵯峨へ移転。
  • 2022令和
    四年
    十二代目解任(2016年)後、再任した十一代目千田堅吉より千田愛子が唐長を継承、唐長十三代目に就任。
    唐長の新しいロゴについて
  • 2023令和
    五年
    MIHO MUSEUM 春季特別展「美の祈り Universal Symphony」
    トトアキヒコ唐紙アート作品「Universal Symphony」が展示される。