江戸時代より唯一続く唐紙屋

【テスト】唐長の唐紙

《 唐紙 》は、平安時代、文字を書く為の詠草料紙として用いられ、鎌倉、室町時代の頃からは建築様式の変化に伴い、衝立や屏風、襖や壁紙などの室内装飾に用いられるようになり、江戸時代には、一斉に唐紙は普及し、武家や公家、茶人、商人、町家など…さまざまな場において趣味趣向を反映した唐紙は人々の暮らしを彩ることとなる。

《 唐長 》は、寛永元年(1624)に京都で創業した約400年続く日本唯一の唐紙屋。
天明8年(1788)の大火で大半の板木を焼失するが、その後も唐紙屋を続け板木を再版してきた。この大火直後に彫られた貴重な板木も現存しており、裏書きが確認できるものは、寛政三年十一月(1791)とある。
《 唐長 》に伝わる古文書によると、天保10年(1839)頃京都に存在した唐紙屋は13軒あったが、多くは元治元年(1864)の蛤御門の変の「鉄砲焼け」で板木を焼失した。戦乱の火災から《 唐長 》は、奇跡的に板木を守り抜いた。数々の戦乱、天災など苦難を経て明治時代以後、文明開化など人々の暮らしの変化に伴い《 唐長 》以外の唐紙屋は全て廃業してしまった。また江戸地域での唐紙屋は、関東大震災、東京下町大空襲などにより板木を焼失し途絶えることとなった。昭和の中頃、唐長10代目の指導もあり、復興された東京の唐紙屋もあり、近年でも、幾つか唐紙と称したものが新しくできたようだが、歴史的背景として、江戸時代より途絶えることなく代々続いてきた唐紙屋は日本でただ1軒、《 唐長 》は、江戸時代から続く日本最後の唐紙屋として、現在も唐紙の制作を続け、唐紙文化を伝えている。

現当主である11代目千田堅吉は、千田愛子の父。

《雲母唐長》は、トトアキヒコと千田愛子が京都・嵯峨の地にて《 唐長 》を受け継ぎ、唐紙の美を広く世界に伝えると同時に、紙以外の異素材や他者とコラボレーションしたプロダクトを発表するなど、文様と色の美を通じて人々の暮らしを豊かにしたいとの思いをこめたモノづくりをしている。
また、《雲母唐長》は、長い唐紙の歴史において初めて美術(アート)として作品を発表し、伝統的な唐紙に新しい道を切り拓いた。
2018年7月、百年後の京都に宝(心)を遺す文化プロジェクトを提唱し、「平成の百文様プロジェクト」を発表。江戸時代より先祖代々受け継ぐ600枚もの板木に、新たに加える100枚を創出し、《 唐長 》の新しい歴史を担う。

《 唐紙 》は、平安時代、文字を書く為の詠草料紙として用いられ、鎌倉、室町時代の頃からは建築様式の変化に伴い、衝立や屏風、襖や壁紙などの室内装飾に用いられるようになり、江戸時代には、一斉に唐紙は普及し、武家や公家、茶人、商人、町家など…さまざまな場において趣味趣向を反映した唐紙は人々の暮らしを彩ることとなる。

《 唐長 》は、寛永元年(1624)に京都で創業した約400年続く日本唯一の唐紙屋。
天明8年(1788)の大火で大半の板木を焼失するが、その後も唐紙屋を続け板木を再版してきた。この大火直後に彫られた貴重な板木も現存しており、裏書きが確認できるものは、寛政三年十一月(1791)とある。
《 唐長 》に伝わる古文書によると、天保10年(1839)頃京都に存在した唐紙屋は13軒あったが、多くは元治元年(1864)の蛤御門の変の「鉄砲焼け」で板木を焼失した。戦乱の火災から《 唐長 》は、奇跡的に板木を守り抜いた。数々の戦乱、天災など苦難を経て明治時代以後、文明開化など人々の暮らしの変化に伴い《 唐長 》以外の唐紙屋は全て廃業してしまった。また江戸地域での唐紙屋は、関東大震災、東京下町大空襲などにより板木を焼失し途絶えることとなった。昭和の中頃、唐長10代目の指導もあり、復興された東京の唐紙屋もあり、近年でも、幾つか唐紙と称したものが新しくできたようだが、歴史的背景として、江戸時代より途絶えることなく代々続いてきた唐紙屋は日本でただ1軒、《 唐長 》は、江戸時代から続く日本最後の唐紙屋として、現在も唐紙の制作を続け、唐紙文化を伝えている。

現当主である11代目千田堅吉は、千田愛子の父。

《雲母唐長》は、トトアキヒコと千田愛子が京都・嵯峨の地にて《 唐長 》を受け継ぎ、唐紙の美を広く世界に伝えると同時に、紙以外の異素材や他者とコラボレーションしたプロダクトを発表するなど、文様と色の美を通じて人々の暮らしを豊かにしたいとの思いをこめたモノづくりをしている。
また、《雲母唐長》は、長い唐紙の歴史において初めて美術(アート)として作品を発表し、伝統的な唐紙に新しい道を切り拓いた。
2018年7月、百年後の京都に宝(心)を遺す文化プロジェクトを提唱し、「平成の百文様プロジェクト」を発表。江戸時代より先祖代々受け継ぐ600枚もの板木に、新たに加える100枚を創出し、《 唐長 》の新しい歴史を担う。

1600

  • 江戸幕府成立
    慶長八年1603
  • 本阿弥光悦が京都・鷹峯に芸術村を築く
    「嵯峨本」に唐紙を用いた
    元和元年1615
  • 1624
    寛永元年
    唐長創業
  • ポルトガル船の来航禁止、鎖国の完成
    (~1854年)
    寛永十六年1639

1700

  • イギリス産業革命
    宝暦十年1760
  • アメリカ独立宣言
    安永五年1776
  • 天明の大火
    天明八年1788
  • フランス革命
    寛政元年1789
  • 1791寛政三年
    板木・九曜紋が開板(天明の大火以降、裏書きが確認できる唐長最古の板木)
  • 1792寛政四年
    板木・玉散らしが開板

1800

  • 町人文化が花開く
    文化・文政1804
  • 黒船来航
    嘉永六年1853
  • 蛤御門の変
    元治元年1864
    たらいに水を張り、目張りした土蔵に板木を入れて守る
  • 大政奉還
    慶応三年1867
  • 明治維新
    明治元年1868
  • 文明開化など時代の変遷に伴い人々の暮らしが変わることで唐紙も失われていき、多くの唐紙屋が廃業を余儀なくされる。唐長にとっても過酷な時代であり、当時唐紙の将来を憂いて多くの板木を自ら割って燃やした記述が残る。
    「よく燃えてござ候地獄でござ候」
  • 第三回パリ万国博覧会
    (パリの美術界にジャポニズムが起こる)
    明治十一年1878

1900

  • 第一次世界大戦勃発
    大正三年1914
  • 関東大震災
    明治十二年1923
  • 第二次世界大戦開戦
    昭和十四年1939
  • 第二次世界大戦終結
    昭和二十年1945
  • 1950昭和二十五年
    十代目、桂離宮の修復を手がける
  • 1959昭和三十四年
    十代目、桂離宮の修復を手がける
  • 東京オリンピック開催
    昭和三十九年1964
  • 1979昭和五十四年
    十一代目、桂離宮の修復を手がける
  • 平成に改元
    平成元年1989
    十一代目、二条城の修復を手がける
  • 阪神淡路大震災
    平成七年1995

2000

  • アメリカ同時多発テロ
    平成十三年2001
  • 2004平成十六年
    ココン烏丸に雲母唐長ショップオープン
  • 2008平成二十年
    トトアキヒコの唐紙がアートとして産声をあげる
  • 東日本大震災
    平成二十三年2011
    トトアキヒコ、養源院・重要文化財である俵屋宗達「松図」の修復を手がける
  • 2014平成二十六年
    「唐紙の美 トトアキヒコの世界 雲母の旋律 -400年のひととき-」の開催
  • 2018平成三十年
    「平成の百文様プロジェクト」始動
  • 令和に改元
    令和元年2019

唐長当主

  • 初代
    1687貞享四年没
  • 二代目
    1679延宝七年没
  • 三代目
    1725享保十年没
  • 四代目
    1742寛保二年没
  • 五代目
    1807文化四年没
  • 六代目
    1832天保三年没
  • 七代目
    1883明治十六年没
  • 八代目
    1930昭和五年没
  • 九代目
    1947昭和二十二年没
  • 十代目
    1996平成八年没
  • 唐長現当主 十一代目 千田堅吉

  • 1942年
    京都市に生まれる
  • 1976年
    十一代目を継承
  • 1978〜1982年1月
    桂離宮の昭和大修理では、襖、壁の桐紋唐紙制作責任者として従事
  • 1994年
    日本伝統文化振興賞受賞
  • 1999年
    国の選定保存技術保持者に認定される
  • 2012年
    旭日双光章受章
  • 2019年
    現在も現当主として唐長を守り伝える。
    今後、オーダーや制作は、唐長の歴史とともに嵯峨の地で継承。

脈々と受け継がれる文様の精神

唐長の板木

唐長には、先祖代々伝わる板木が、花鳥風月や幾何学文様などさまざまなものが六百枚以上あり、基本は、十二枚で一枚の襖になる十二板張り。その他に十板張りや、五枚張りなどがあります。十二枚張りのほとんどが江戸時代のもので、板木の大きさは縦が約九寸五分、横が約一尺五寸五分のつくりとなっています。 天明8年(1788年)の大火で大半の板木を焼失し、その後、薬問屋などを営みながらも唐紙屋を続け板木を再版していきました。この大火直後に彫られた貴重な板木も現存しており、裏書きが確認できる古いものは、寛政三年十一月、と墨書きがあります。 十枚張りは、明治・大正期のものが多く、縦一尺一寸五分、横一尺五寸五分。五枚張りは、大正・昭和期のもので、十枚張り判の横幅を二倍にしたもので、横三尺一寸となります。この時代の頃から襖紙用に大きな和紙を漉けるようになったことから、唐長ではこの大きな和紙に対応できるように技法と板木を工夫してきました。これら板木の材質は、ほとんどは朴の木に彫られています。

このように歴史をくぐり抜け先祖代々守ってきた板木から、写しとられて美しい唐長の唐紙が生まれます。唐紙の普及とともに唐長文様の複写や類似品がシルク印刷やデジタル印刷、もしくは類似木版等により市場にでていますが、唐長の唐紙の特異性は、幾多の歴史をくぐり抜けてきた板木に宿る力とその代々受け継がれた精神性にあり、安易にコピーが氾濫する時代の中、表向きに上辺だけをコピーできてたとしても、400年の時代と歴史、そこに潜む精神性は、コピーされることはない、と、唐長は挟持を持って取り組んでいます。

文様と色の装飾美術

陰影に美しさを見いだす

唐長の板木は、シルクロードを渡って伝えられたユーラシア大陸文化の世界的背景のあるものから日本独自に洗練されたものまで多岐に渡り六百枚以上。何千年にわたり、世界を駆け巡ってきた文様の世界観が先人たちのおかげで江戸時代から手を加えられることなく素直に板木に息づいています。そして、この唐長の板木は、世界に通じる文様と色の世界が相まってできる装飾美術であり、そこには脈々と受け継がれてきた文様の物語や精神性がひそんでいるのです。その昔、自然光や月明かり、燭台の灯にほのかにうつろう唐紙の陰影に美しさを見いだした光の文化ともいえる唐紙…唐紙を通じて人々の幸せを願いつつ、この連綿とつづいてきた唐長の文化と精神性を世界と後世に伝えたいと思います。

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